蕎麦の歴史

蕎麦が日本に伝来した時期は

ではここから蕎麦の歴史というものについて触れていくことにしましょう。この日本という国において麺類は非常に多岐に渡る意味で広く流通している事は、誰もが知っている事実でしょう。蕎麦やうどん、ラーメンやにパスタ、さらに細かく焼き蕎麦の麺といったように一言で麺類という料理を述べるにはあまりにも様々な種類が登場しています。そんな中で最も日本に直接的な繋がりを持っており、そして日本人の麺類関係の食文化の形成となった始まりとも言える存在として語らなくてはいけないのが、蕎麦です。

蕎麦の伝来は史実において奈良時代以前から存在していた事は間違いなとも言われていますが、そもそも蕎麦の原料となる蕎麦の実となる植物を栽培し始めた時期として、それは縄文時代に案で派生しているのはないか、とも考えられているのです。起源として遡るのであれば、元は大陸の植物だった事は確かとなっています。しかしそれ以上に日本では蕎麦という麺類として扱われるようになる以前から、原料がすでに分布しているなどある意味では古来から蕎麦としての歴史を語るとなれば非常に重く、そして長い話となりそうです。

その一旦として、高知県内にある遺跡の一つから、蕎麦の実の花粉が発見されるという事実も発覚しました。その遺跡は9000年以上も前の遺跡に存在しているということから、それほど昔から蕎麦は日本にとって縁のある植物であるということが、確かな事実として語られることが把握できると思います。また、さいたま市岩槻区にある3000年以上前の遺跡からも同様に蕎麦の種子が発見されているなど、蕎麦の歴史そのものが本州を境として様々な地域に分布していることが分かります。

しかし、こうした歴史においても蕎麦という食べ物が在るということ、それは庶民にとってはごく自然なこととして受け入れられている一方で、朝廷などの貴族階級の人々にとっては知りもしない未知なる食材の1つとして知られた、というのです。蕎麦と初めてであったかの藤原道長の甥でもある『道命』が山の住人に料理を振舞われたとき、蕎麦の実を使った料理を出されて食膳にも据えかねるものを出されたとして驚きを隠せなかったことが、『古今著聞集』に記されるなど逸話として知られています。

こうしたことから分かるように、何も江戸時代の頃から突如として出現した料理ではなく、奈良時代以降における歴史においても決して表舞台に出ることすらなくとも、蕎麦を原料とした食事は広く庶民に重要な食材の1つとして知られていたのです。

まだこの当時は麺じゃなかった

ではこの頃からかけ蕎麦やざる・せいろといったものが盛んに料理として受け入れられていたのか、ということについて話ではありません。我々が認識している蕎麦というものは現代で確かに麺状のものとなっていますが、その原型が始まったのは江戸時代なのは紛れもない事実となっています。でもそれ以前から蕎麦は植物として栽培されていたことが科学的にも確認されており、さらに食事として利用されていたことも歴史書の中で逸話として知られています。それもそのはずです、当時は植物として利用されていた蕎麦はその実を利用し料理として広く使用されていたのです。

江戸時代以前において、蕎麦は主に穀物の一種・雑穀の一つとして利用されていたのが、蕎麦の実の利用方法となっています。現代で言うところの『蕎麦飯』という風に、ご飯と麺が一緒に料理されているものではなく、穀物の一種として食べられていたのです。ですが主流となるものとしてではなく、それは飢餓などの飢饉の際に用いられる食材の1つとして利用されることが常であり、主食として利用されていたのかと聞かれたらそうでもないでしょう。当時からすればいわ非常食の一つとして、栽培されていたと考えた方がいいかもしれません。

そのため当時は実を粥にして食べる、また蕎麦粉にして蕎麦掻きや蕎麦焼きといったものにして食べられていました。その後、麺状のものとして利用されるようになるのが江戸時代になってから、というのが蕎麦の正しい歴史認識に必要な順番となっています。

蕎麦の栽培は重要だった

蕎麦というものは蔑ろにされ続けていたのか、というモノでもないのです。表舞台に晴れ晴れ出るのはまだまだ先のこととなりますが、実はそんな歴史の中で史実に初めて載った時代は、実を言うと江戸時代以前に作成された史書となっています。797年に著された『続日本紀』に蕎麦に関する記述が始めて確認されたのです、その内容が気になる一文となっています。

今年の夏は雨がなく、田からとれるものがみのらず、よろしく天下の国司をして、百姓(おおみたから)を勧課し、晩禾(ばんか)、蕎麦及び小麦を植えしめ、たくわえおき、もって救荒に備えしむべし

これがどういう意味を指しているのかというと、日照りばかり続いていた時に稲の収穫が見込めない中で、通常よりも遅く実る晩禾の一種として稲と小麦も含まれていますが、その中に蕎麦も含まれているのです。何故かというと、蕎麦を栽培する環境としては日照りや冷涼な地域でも十分に育つことが出来るだけの力を持ち、植物を栽培する際には土地を十分に選ばなければならないという問題を軽がるくクリアする、場所を問わずして栽培することが出来る植物の一種というのが大きく影響しています。

こうした植物としての特徴や強い耐性を持っていたおかげで、凶作の際にも収穫を十分な量が採取することがで見込める食材として救荒作物、などとも呼ばれていたのです。元を正せば麺類になるまでに時間を要することになりますが、歴史的な観点から見ても蕎麦は古代日本人にとってはいざというときの非常食としての側面を持っていた、という重要な歴史的事実を確認できます。コレを知っているか否かで蕎麦に対する考え方も変わるというものではないでしょうか。