蕎麦屋について

日本では江戸時代から商売として成り立っていた

蕎麦が定番料理となったことで、その食べ方などにおいても営利目的で利用される機会が増えていきました。その起源を語るとするのであれば、それは江戸時代中期頃から蕎麦は一般庶民からしても非常に定番かつ、馴染みある食事として利用されるようになっていきます。蕎麦を利用するにしても非常に安価だという金銭的事情なども込みで考えると、庶民的な料理として広まっていくこととなりました。特に江戸時代においては各町内に二軒あることが普通で、存在しないところはないとまで言われるほどに数を増していきました。ですがそれも関東大震災という、江戸全域が焼け野原となってしまう大災厄において、商売としての戦力図も変化してしまいます。

ではそんな蕎麦屋の起源、つまり元祖ともいえる店は何処から始まりを告げることになったのか、ということについては実のところはっきりしていないのが実情となっています。その中で最も有力と言われているのが、寛文4年に『慳貪蕎麦切屋』という店が現れたと一部歴史書に述べられているので、ここが全ての原点なのではとも言われています。

そして当初蕎麦の扱いは一つの料理として利用されているのではなく、あくまで軽食の1つとして扱われていたということが何よりの特徴といってもいいでしょう。現在で言うところのファーストフードのような扱いで見られており、またお店も一つの店を構えているというスタイルではなく、渡り歩く用として屋台形式での販売が中心となっていました。ですがこの頃は『うどんや蕎麦切りなどの火を持ち歩く商売』というのは禁令の対象として見られており、このことから持ち歩かないお店として構えるようになったことが定番となって言ったとも考えられます。

あくまで庶民が食す物

今でこそ誰が食べても問題ない食事となっている蕎麦ですが、蕎麦が普及し始めた江戸時代当初において蕎麦というものは庶民が食べる『下賎な食事』として、身分の高い者達からは敬遠されていた食事の1つとして扱われていたのです。身分の高いもの、江戸時代においては大名や旗本といった武家の家柄において蕎麦を食べるなど持っての他として考えられていたのです。

物凄い偏見ですね、ですがそういった武家社会においても必ずしも食べていなかったとも考えられているのです。ある史書において蕎麦は人前で食べるモノではない、もしくは小銭を出してまで食すモノではないと、述べているところを見れば必ずしも蕎麦という食事を一度も口につけていなかったというのは、全体的ではないことが伺えます。とはいっても旗本などの身分ある者であったとしても生活水準については開きがあるもの、例え生活に苦しいからといっても食べることはなかったと記している史書もありますが、それが事実として捕らえるのは難しいかもしれません。武士としてのプライドというものがあるのかもしれませんが、さすがに食うに事欠いてしまうような切羽詰った状況になってしまったのであれば、食べたこともある武士もいたと考えた方が自然かもしれません。それこそ、街を歩けばそこかしこに点在している蕎麦屋を見かける機会も多くあり、それを見ずして興味関心を惹かれないという人間がいるはずもないでしょう。

それがいつしか日本において、誰が食べても何の問題もない一般的な食事となっていることがその証拠ではないでしょうか。庶民が食べるものとして見られていたのであれば、ここまで文化的に広まることはなかったでしょう。

蕎麦屋の特色

蕎麦屋といえばの話をしていこうと思いますが、今でこそ食事処として見る傾向にあるでしょうが、江戸当時において蕎麦屋は基本そこまで品数が多く用意されておらず、お酒を飲むところとして見られていた傾向が非常に強くあります。現代でもそういった店は存在していると思いますが、チェーン店となっている蕎麦屋ではお酒を取扱っているところは少なく、何処にでもある食事店として利用されています。

酒場としての傾向が特に強かったのは東京となっています、蕎麦を基本とするお店であるなら蕎麦と酒、そして肴として提供する一品物の料理といったものを中心に取扱っています。

こんな利用方法も

蕎麦屋を食事処として使用していることが一般的ですが、実はそれ以外にも蕎麦屋を利用する例があることをご存知でしょうか?太平洋戦争以前の時代において、蕎麦屋は町内では湯の帰りに立ち寄る喫茶店のような利用方法をされていました。それは家に連れて行きにくい人との待ち合わせなどをするとき、また男女の逢引場としても利用されていたのです。そのため、蕎麦屋は基本二階建てとなっており、一階では食事をするために、二階では人前では出来にくい相談や事を持ち込んだりする、などという利用方法がされていたのです。今でもこういう風習を取り入れているところがあったら、面白いかもしれませんね。

出前っていつから始まった?

蕎麦屋で考えなくてはいけないこと、それは出前というシステムですね。疑問に思うことがなければ蕎麦屋では出前をする事は当然のものだとして、認識している人もいるかもしれません。それでも蕎麦は長時間持ち運ばない料理としては適さない食事となっているのですが、昔は何処にでもあることが普通だったために出前は非常に手軽で行える店屋物として利用されていたのです。今と昔の違いとしてはこの点でしょうか?

現代ではそこまで多く個人経営をしている蕎麦屋がない限りは出前を注文する事もないでしょう。距離的な問題もありますし、どこまで持ち運べるのか限界かも店の判断に左右されるところとなっています。

蕎麦の出前は徐々に広まることになり、その頃から岡持ちと呼ばれる取っ手のついた箱型の道具が用いられるようになり、それはやがて現代にまで改良されるも、継続して使用されることになります。そんな中で、一時期せいろを高々と担いで自転車などを走る人もなども出現するようになりますが、個人的に言わせて貰うと何をしているのだろうというところです。実際にそのようなことをする人を見かけたことがある人も居るかもしれませんが、ある意味バランス感覚に長けている人でなければそんな曲芸は出来るはずないので、やるべきではないでしょう。

というように、ありえないような出前スタイルが一時期流行気味に知れ渡るようになったという歴史もあるなど、蕎麦屋の出前というものはにごく一般的なものとして受け入れられていくようになったのです。